「この世は舞台、人はみな役者」という言葉があります。私たちは誰もが役者なのです。つまり、本当の自分では生きていないということ。では本当の自分とは? その姿はただただ無力。裸のまま無防備に生まれてきたあの頃の自分だからです。今の自分というのは、役割がありき。生きづらくなるのも当然です。この記事では無力な自分がどう生きていけばいいのかを俯瞰した視点でお伝えします。
私たちは無力な存在
人間とは面白いもので、年を経ていくごとに役割が増えていくものです。その時々の自分の役目なだけ。しかし自分の力だと勘違いして、得た立場を誇ることがあります。生まれ持ったものも、努力で得たものも、等しく自分であると高らかにしているのです。
果たして、この力は本当に自分のものでしょうか? 私はある時から気づきました。この世界は無常です。能力だって、肉体の特徴だって、何もかもが与えられているものです。人はそれを運といいます。
成功者も役者
事業を成功したとか、トップの成績を修めたとか、上位層に入れたとか、人からチヤホヤされるだとか、お金がたくさん入ってくるとか、美人と結婚したとか、欲しいものは何でも手に入れるとか、有名になる等「一部の人」しか手にできないようなことすらも、実はただの役割なだけです。役割を与えられているだけです。
自分の出来上がり
勘のいい方は、お気づきだと思います。人生すべては運が支配しているのだと。そして、その運を与えている存在がいるということを。大前提、生まれ持ったものは運です。生きていく中の経験一つひとつも運です。偶然のようで、すべて必然なだけ。
自分で選んだつもりでも、結局は遠回りしているかどうかな距離(時間)の問題なだけ。努力すらも計画のうちです。そういった性質をもった人間として生きているということ。どこまでも自分というのは計画されています。それに気づくこともなく、人生舞台を一生懸命生きているわけです。
誰もが同じスタート
最初は誰もが無力な赤ちゃんでした。赤ちゃんの頃から特別抜きん出ている人はいません。呼吸ですら一苦労なか弱い存在でした。そこから家族・学校・職場・付き合う人々・身を置く環境など、あらゆる要素が備えられて、今のあなたが存在します。これ、本当にすべて自分が計画した現実だと思いますか?
誰が運を授けているのか
先ほど、人間に運を与えている存在がいるとお伝えしました。この世が舞台であるなら、役者は私たち人間。そして、この人生という劇を監督している存在がいます。運ですら、この人生舞台で計画されているものです。つまり、誰かが自分の人生を監督しているということです。
計画を立て、その為に道を備え、偶然という必然を起こしてくれたり、劇を進めるために能力を授けているのです。運という、人間では生み出せないものすらを超越しており、自由自在に動かせる存在がいるということです。
人智を超えているので
「ちょっと待ってください。証拠は? これってスピリチュアルな話ですか? 頭大丈夫ですか?」と引かれる人もいるかもしれませんね。ですが、どうかよろしければ、この先も読み進めていただければ嬉しいです。ここから、もう少し踏み込んだお話しをします。生まれて初めて聞く人もいるかもしれません。
人間とは、何なのか
人生の監督者は誰なのか? 単刀直入にいいますと、神様です。「神様っているんですか?」という人もいますが、確実に存在します。人間を造ったのは神様だからです。自然発生して生まれた生物ではありません。神様が計画をして造ったのが人間です。神様とは、創造主。人祖アダムとエバから、人間の歴史ははじまっています。これは聖書のはじめから語られています。
地球を6日間で造り、最終日に人間を自分に似せて造ったと聖書には書かれています。命すらも造れるのが、文字通り創造主。今日、人間の文明は最高潮に発展していますが、命をつくることは時代を超えていつだって同じです。つまり、人間の考え出した科学にも及ばない神秘です。
自分の人生を見守っている存在
その創造主こそが、私たちの人生を監督している存在です。今もご自身の造られた人間を見守っています。監督といってしまうと、まるで遠くから厳しく見つめている怖い存在のようですが、創造主は違うのです。先ほど述べた、あらゆる意味での運をすべて備えてくださる、まるで父母のような存在です。これも聖書を真面目に読めばわかります。
しかし、罠に落ちるのが人間
残念なことに、人間は誰しもが罠に落ちます。いかに神様が人間のために用意した道を用意しても、振り切って道を踏み外すからです。まず大前提、道を踏み外しても神様は本来の道へと軌道修正できる方です。しかし、必ずしもその道を備えるとも限りません。ここは後ほどお伝えします。
その罠とは、私たちが常に抱く「強欲」。お金持ちになりたい、人から尊敬されたい、人とは違う自分でありたい、綺麗でありたい、有名人になりたい、など。こういった欲望を抱かせ、本来の道とは外れた欲望の道へと誘う存在がいます。その罠にかかり、神様が用意していた道から外れていくのです。計画外は上手くはいきません。
この世は罠だらけ
罠へと誘うのが、悪魔。「うわっ、とうとう本当に危ないことを言ってるよ!」と思われた方、すみません。結構本気でお話ししているのですが、普段は聞き慣れない言葉ですので、行き過ぎた妄想だと思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。それでもいいです。
この存在は目には見えないですし、実のところ私もよくわかりません。しかし、自分の人生を妨害してくる横槍的な存在がいるのは確かです。「なぜ、こんな人生なのだろう」と嘆いたことはありますか? すべて自分の甘い欲望に意識をとられ、気がつけば道を踏み外していたからです。決して他責思考を推奨しているわけではなく、説明のつきにくい人生の不思議を話しています。
古代からのマーケティング
罠の話を深掘りする前に、私たちがつい「羨ましい」と思ってしまう、いわゆる成功者たちについてお話します。輝かしく見えるし、人からも注目も浴びて、尊敬を浴びて、羨望で見つめられ、まさに人生謳歌をしているような人は確かにいます。
それを見て「私もああなりたい」「あの人の要素がほしい」など多くの人は願望を抱くようになります。お金や地位、物質、美しい人間、ありとあらゆるものに憧れます。これ、実はマーケティングの基本です。人間が始まってから今でも続く、願望という罠です。いつの時代も通用します。
願望こそが悪魔の罠
聖書に書いてある神様は、なぜ人間を造られたのか。ここを知れば、人間が幸せに生きる方法がわかります。理由を一言でいえば、神様は愛情を注ぐ存在を造りたいと計画されたからです。子であり、愛そのものとして大切に思っているのです。つまり、自分という人間は神様に愛されて生まれてきました。
二人を愛することはできない
しかし、どんな人間も無条件に愛しますと、聖書には書いていません。二人を同時に愛することはできないからです。それは愛ではありません。神様か悪魔か、どちらかしか愛せません。ちなみに悪魔とは、この世的な願望に走った人の信じる道に通じるものです。悪魔は初めから罠を考えているので、愛を知りません。冷たい道です。
役者に憧れる人間たち
ここまで書いておきながら、私は今現在、神様の道で生きていないなと感じます。なぜなら、この世的な成功がほしいから。お金も欲しいし、仕事的な権威もほしい。素敵なパートナーとも結婚したい。もはや、「欲望を抱いてはいけないのですか?」というお話になります。
実は、願望そのものがいけないとは限りません。罠なのか、自分に用意された道なのか。そこは自分にはわからないからです。神様のみが知ることです。本当に、お金持ちの道を備えてくださっているのかもしれません。この場合、それは役者ではなく本当の道です。つまり、本当の自分が生きる道。
無力だからこそ、頼むこと
最後に私から、この世の役者から降りる方法をお伝えします。悪魔の道を降りるということ。まず、ここまでお話をしてきて、自分がいかに無力かお分かりいただけたでしょうか? この世的な成功を得てきた人ほど、ここで鼻高々にしがちです。しかし、自分の力ではないのですよ。計画された存在(神様)あってこそなのです。
求めよ、さらば与えられん
だからこそ、元から無力な人間である私たちは祈るべきです。それしか、人智を超えた運の流れを変えることはできません。神様が聞き入れてくだされば、現実は変わっていくからです。「おや? ついに宗教くさくなってきたな〜」と思った方、ちょっと待ってください。
まず私は、どこかに所属しているわけではありません。勧誘とかもないです。ただただ、本来の人間を本質的にお伝えしたいだけです。このブログを読んでくださっていることも、きっと何かのご縁です。
【まとめ】幸せに生きるために
今回の記事は、難しいテーマだったかと思います。まず認知していただきたいのが、この世を生きる多くの人は、みな役者だということ。この役者、いつまで続けますか? ってことを私は問いかけたいです。
行き過ぎた願望は、生まれる前から用意されていた自分の道から踏み外します。そこは基本的には神様の監督外。自分に与えられた道を歩むためには、自分は神様に造られた存在(人間)であり、無力だということを知ること。
もし、今の道で困ったことがあれば、神様に祈ってみてください。何に困っているのか打ち明けてみてください。これこそが、人間が道を踏み外しても軌道修正をかけてもらえる唯一の方法です。
【おまけ】この世の役者ではなく、本当の自分を生きる
役者と本当の自分は、まったく違います。もし、今生きづらさを感じている人は、願望という罠に踊らされていて、本当の自分が見えない・もはやわからないのかもしれません。そこから立ち直るためには、まずはこの世の役者から降りることです。今の自分は役者だということ。わからなくなったら、軌道修正するためにも、ぜひ神様に祈ってみてくださいね。本気の心は聞き入れられます(私は何度も経験済みです)。
この記事を書いた人
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平成5年生まれ。東京都生まれ、地方育ち。
栄養学科の大学を卒業後、事務職で転職を繰り返す。しかし、「やりたいことがない」と未来へ漠然とした不安を抱える。自分とは何者なのか、20代のほとんどを自己分析にあてる。
28歳の時に自分探しではなく、「自分の能力を発揮する!」と行動で勝ち取ることを腹に決め、好きで得意な「書くこと」へと挑戦する。
クリエイティブな仕事へと方向転換し、月刊編集部で書くことや企画に携わる。その後、フリーランスとして独立。コピーライトを得意とし、セールスライトやプロモーションをメインに活動中。文字に魅力や訴求、想いすべてを集約させることがどうしようもなく楽しいと実感中。
「人は誰もが何かしらの才能を持っています。それを仕事にしていいし、遊び心をもってもいい。行動して、何者かになっていくことがスタート」
『仕事×遊び=書くこと』というタイトルで、2024年2月よりブログ始動。
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