「やりたくないことはやらない」逃げ癖とスピリチュアルな解釈

昔の私は、常に逃げていました。「だって、苦しいもん。だから、逃げたい。逃げさせていただきます(辞めます、諦めます)」といった怒涛の重い感情をもって。

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やりたくないことはやらない!

私の20代は、このように「やりたくないことはやらない」人生を送ってきました。嫌なことを続ける意味がわからない、というスタンスでした。そう言うと聞こえはいいですが、好きなこともわかりませんでした。

「もう、無理」という自分

「この仕事は私には向いていない。もう無理です」
「少しでも楽したい。ただ時間が過ぎるだけの仕事こそ最高」
「私はこれがしたくて入社したのに、こんなことはやりたくない」

そのように心の中で葛藤しては、転職をし続けてきました。こんなマインドだったので、当時の私は長く続けることができませんでした。転々として、自分は何がしたいのかわからなくなっていました。

スピリチュアルに逃げていた

このように仕事から逃げていただけでなく、さらに厄介なものが加わっていました。それは、スピリチュアル。「やりたくないことが起きたら、それは私の道ではないというサインなんだ」と自己解釈していました。

やりたくないなら、逃げてもいい?

散々逃げてきた私から言わせていただくと、やりたくないことに対する考えが偏っているから、いつまでも逃げ癖が出ているのだと思います。苦しいことから簡単に逃げる根性なしになっていくのです。

逃げへの思考フロー

たとえば、私ならば仕事で現れました。「もうこの仕事をやりたくない。辞めようかな(逃げようかな)」という考え癖。やりたくない、という気持ちそのものは仕方ないと思います。何も感じるな!とは言えませんから。

しかし、そこで辞めるという選択が出てくることが、ちょっと待った!な部分です。逃げるという選択肢だけではないはずです。たとえば「どうしたら出来るかな」といった、改善案など。道はいくらでもあるはずです。

やりたくないことを、どう受け止める?

逃げ癖のあった頃の私は、自分に問いを立てたことがありませんでした。だから、辞めるという逃げ道一択でした。とにかくこの辛さから解放されたいから必死でした。なんなら、嫌なことから遠ざかることこそが自分を大切にしていると思っていました。スピリチュアル的な自己愛という思想も入っていたかもしれません。

危機に直面し、本気になる

しかし、そんな私にも転機が訪れます。29歳の時に、やりたくないこともやるという腹をくくったのです。逃げたら食いっぱぐれるという危機的状況に直面したからです。すると、逃げる道は消えたので、「どうしたら出来るのか」という自分への問いに変わっていきました。つまり、やりたくないことに対する受け止め方が変わったのです。

「本当はどうしたい?」と自問する

なぜ、やりたくないのでしょう?理由があるはずです。過去の失敗を思い出すものなのか、未知のものだから恐れているのか、勉強が必要だから面倒なのか、何かしらの要因はあるはずなのです。

自分に親身になってみる

苦しくなって投げ出したくなったら、本当はどうしたいのか自分に聞いてみることをオススメします。この辛い気持ちに対して、他の誰でもなく自分自身が親身になってあげることが重要です。その上でやりたくないことに目を向けると、きっと違った景色が見えてくるはずです。私がそうでした。

スピリチュアルによくある「ありのままの自分でいい」は罠

ここで、罠を紹介させてください。ありのままの自分という言葉は魅力的ですよね。スピリチュアルに傾倒していくと、陥りやすいフレーズです。

辛いことから解放され、今の弱いままの自分でもオールOKなんだという、変化を伴わない安心感を与えてくれます。しかし、私はこれこそ罠だと思っています。都合よく使っているとしか思えません。

都合のいいスピリチュアル思考

「やりたくないことはやらなくていいよ。今のあなたのままでいいんだよ」

スピリチュアルな思考になると、優しい言葉に溢れています。すると、根性の道はなくなります。今のままでいい、だから逃げてもいい、変化のない選択をとることになります。ありのままの自分というのは、現状維持バイアスにかかる言葉です。楽ですよね。そのままでいいのだから。行動しなくなります。

「逃げるのは悪いことなんですか?」

これは時と場合による、と言いたいところです。本当に限界を感じたら、逃げもありだと思います。しかし人間は案外丈夫です。特殊な例を抜きに主張を強めていいますと、できるだけ逃げない方がいいですね。つまり、やりたくないことはやらなくていいなんて思わないでください!ってことです。

試練からは逃れられない

やりたくないことから逃げても、試練はまたやってきます。後回しにしているだけです。やりたくないことは、どこまでも現実に現れてきます。私はそれを経験しました。環境が変われど、職種や業界が変われど、自分が変わっていないので出現します。

だから、どこかで向き合った方がいいです。早ければ早いうちがいい。今が一番いい。そして向き合い、乗り越えたら、景色は自然と変わっていきます。苦しみも過ぎ去ります。

人生は一つずつ向き合っていくこと

なんだかんだで、人生には裏技なんてないと感じさせられます。みんな泥臭いことをしてきています。そして成長していくのです。ただし、本人がそれをどう思うかは、それこそ人によりますけどね。人の一生とはそういうものだと思います。

やりたくないことは、自己成長のチャンス

この記事で一番伝えたいことは、これです。「やりたくないことは、自己成長のチャンス」だということ。

間違っても、スピリチュアル的な思想で「やりたくないことはやらなくていいってサインだ」と自己解釈しないでください。それはただの逃げですから。実際に経験してきた私が言います。絶対やめて。

成長の本当の意味

成長とは、苦しいことや大変なことを乗り越えていくからこそです。今のままの変化しない、行動しない自分がどうやって成長するというのでしょう?自分が成長していくと、人生が楽しくなります。自信がもてます。

やりたいくないことを明確に理解する

私がかつて感じていたやりたくないことは、人前で説明することでした。あとは細かなスケジュール管理です。しかし、苦しくてもやると決めて涙をぬぐったら、いつの間にかスラスラとできるようになっていました。

もちろん、今でも若干の抵抗は感じます。しかし、もう逃げたいとは思いません。ただただ、自分の苦手ややりたくないことを、きちんと言語化すること。それだけで心の不快さは結構解決されていきます。

人生のステージをあげたいのであれば

「やりたくないことは、やった方がいい」とは決して言いません。それは押し付けであり、違いますよね。ストレスは別問題で厄介です。しかし、現状から抜け出してステージアップしたいのであれば、挑戦するという意味でもやった方がいいです。通過儀礼のようなものですから。人生とは、そういうものです。強くたくましく、少しずついきましょう。

この記事を書いた人

しげくに さき
しげくに さき
平成5年生まれ。東京都生まれ、地方育ち。

栄養学科の大学を卒業後、事務職で転職を繰り返す。しかし、「やりたいことがない」と未来へ漠然とした不安を抱える。自分とは何者なのか、20代のほとんどを自己分析にあてる。

28歳の時に自分探しではなく、「自分の能力を発揮する!」と行動で勝ち取ることを腹に決め、好きで得意な「書くこと」へと挑戦する。

クリエイティブな仕事へと方向転換し、月刊編集部で書くことや企画に携わる。その後、フリーランスとして独立。コピーライトを得意とし、セールスライトやプロモーションをメインに活動中。文字に魅力や訴求、想いすべてを集約させることがどうしようもなく楽しいと実感中。

「人は誰もが何かしらの才能を持っています。それを仕事にしていいし、遊び心をもってもいい。行動して、何者かになっていくことがスタート」

『仕事×遊び=書くこと』というタイトルで、2024年2月よりブログ始動。
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