【過去と向き合う】意味のない出来事なんてない。すべて繋がってくる。

月曜日の早朝に書いています。ふと思ったのですが、大学生時代というのは人生の中でも貴重な時間でした。私は勿体ない使い方をしてしまい、ずっと後悔していました。それこそ大学選び自体も。しかし、最近になって繋がってきたのです。人生のカラクリに気づいた瞬間でした。今回はそんな、「過去の出来事すべてに意味がある」というお話をします。

INDEX

どんな過去も道だった

過去 意味

生きていると、後悔することだってあります。「あの時、ああしなければ」「なぜあんなことをしていたんだろう」と。それでも、当時の私にとってはベストな選択をしていたわけです。当然、経験をつんだ今になれば見え方も変わってきます。ただ、それだけのこと。過去は過去であり、すべて自分の道だったと認める他ありません。

なぜ、栄養士になろうとしたんだろう

過去 繋がっている

ここで、私のお話をさせてください。私は栄養学科のみに的をしぼり大学受験をしました。今だからこそ思うのは、「専門分野に進まなくていいのに」と。つまり、絞りすぎているということ。それなのに、当時の私は「学ぶこと」よりも「将来繋がる仕事」をイメージして的をギュッとしぼったのでした。しょせん、高校生の想像でしかありません。一言でいえば、浅はか

新卒は、普通に総合職として就職します。ぼんやりしたまま就職し、結局は転職しています。それに、結局は栄養士免許を使用することはありませんでした。だからこそ、ますます思うのです。大学4年間で学んだこと、意味がなかったなぁと。これなら、英文科とかに入った方がよかったと。新卒時代こそ、現実の残酷さに打ちひしがれていました。

それでも、決めたのは自分

過去 繋がっている

過去の自分の選択に疑問を抱き、それは後悔に変わり、自己肯定が薄れていった時期がありました。28歳くらいまで、そんな感じです。とはいえ、今の私は自分の道を見つけています。書くこと、という道を。もはや栄養士という免許は幻想かのように、忘れ去られた過去となりました。

これも、私の選択です。「4年間、無駄にしたも同然じゃないか」と思ってしまうほどの過去。けれど、過去を無理やり活かさなくてもいい、と割り切ったのも私です。だからこそ出会えたのがライターという職種です(現在)。進路を決めねばならない高校生時代の私には、きっと思いついてもいなかったでしょう。

ターニングポイントに思い馳せる

過去 繋がっている

私は少し、高校生時代に思いを馳せます。私にとってはターニングポイントですから。「なぜ、栄養士の道を選ぼうとしたの?」と。きっかけは、高校2年生の時にかかった食中毒でした。それを機に、食の影響を恐ろしく感じました。そして、興味が出たんですよね。ただ、それだけ。ここで大事なのは、興味は好きとは違うということ。

当時の私にとっての好きは、読書でした。また、ノート作り。開けば自分の世界が広がっていました。現実の世界は煩わしいことが多くても、ノートや本は私に喜びを与えてくれる別世界でしたから。今にして思えば、好きに焦点を当てていれば、書く仕事も思い描いていたかもしれません。

今、過去に対して思うこと

過去 繋がっている

過去は過去、今は今、と割り切っていた私ですが、よくよく整理してみるとそうではないかもしれません。過去の延長線にいるというか、いろんな分岐点を経過してきたけれど、細かく辿れば繋がっているなと。つまり、過去のあらゆる出来事は今に繋がっていたと気づきます。

「いや、当たり前でしょ」と言われれば終わりですが、今はっきりと、言葉以上の実感をもって自覚しています。この感覚は、迷走ばかりしていた20代の頃にはわからなかったでしょう。人生の方向性に迷っていた時期、過去の自分をまともに俯瞰できていませんでしたから。時が解決してくれた感覚です。納得という内面的な解決で。

興味と好きは違うけれど

過去 繋がっている

私は先ほど、興味と好きは違うとお話しました。私事でいえば、栄養士という興味と、書くことという好きの違い。別分野ですし、それは当時から自覚がありました。好きを仕事にするイメージがなかった過去でした。今は、好きをイメージでき、書くことを仕事にしています。

しかし、人生は面白いものです。私は30歳にして栄養学にまた興味が出てきました。栄養士課程を学んだからこその知見が活きています。だからこそ、ほんの少し学び直しています。なんなら、栄養士ライターになりたいなとふと思ったり。後悔していた過去の出来事も、時が経てば違う見方になっているものです。

【まとめ】過去はすべて繋がって、今に生きる。

過去 繋がっている

ある出来事が、すぐに活きてくるとは限らないこと。過去は過去でも、のちのち活きてくること。それを私は実感しています。10年前(私にしてみれば大学生時代)のことが、今になって沸々と湧いてくるのです。やはり、過去は過去で、自分なりに考え抜いて結論を出していたのだろうなと感じます。たとえ、当時の選択がすぐに活かされずに、今もずっと後悔していたとしても。

そのような過去、忘れたくもなりますが、ただただ割り切る。認めるともいいましょうか。一旦別の道を行くと、別の見え方ができるかと思います。なんなら、新しい発見や掛け算も起こるかも。過去はすべて意味があり、私の糧になっていくのだと、過去のすべてを信じてみようと思い直しました。人生は総じて、きっと面白い!

著者:マドモアゼル・愛

この記事を書いた人

しげくに さき
しげくに さき
平成5年生まれ。東京都生まれ、地方育ち。

栄養学科の大学を卒業後、事務職で転職を繰り返す。しかし、「やりたいことがない」と未来へ漠然とした不安を抱える。自分とは何者なのか、20代のほとんどを自己分析にあてる。

28歳の時に自分探しではなく、「自分の能力を発揮する!」と行動で勝ち取ることを腹に決め、好きで得意な「書くこと」へと挑戦する。

クリエイティブな仕事へと方向転換し、月刊編集部で書くことや企画に携わる。その後、フリーランスとして独立。コピーライトを得意とし、セールスライトやプロモーションをメインに活動中。文字に魅力や訴求、想いすべてを集約させることがどうしようもなく楽しいと実感中。

「人は誰もが何かしらの才能を持っています。それを仕事にしていいし、遊び心をもってもいい。行動して、何者かになっていくことがスタート」

『仕事×遊び=書くこと』というタイトルで、2024年2月よりブログ始動。
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
INDEX