実は私、物事や人に対して、常にハッキリさせたいタイプの人間なんだなと最近気づきまして。これってすごく生きづらい。できることならば、直した方がいいと思っています。いえ、治すというよりも自分の取扱説明書を極めてみるべし。いわゆる、我こそは白黒つけたがる人だと自覚がある方は、ぜひこの記事を最後までお読みくださいね。一緒に内観していきましょう。
ハッキリさは、時にわがまま
白黒ハッキリさせたい人というのは、正直いいますと、わがままなタイプ。本人は自覚していないことが多いところもミソ。なんなら、謙虚なタイプだと本気で思っています。
これ全部、私のことなんですけどね。ある人に言われてからハッとさせられました。「あなたは常に正解を求めているんだね」と。
目的意識があるから
例えば、「これって何のためにやっているの?」などと目的をすぐに探そうとする人。私の場合、ビジネス脳に慣れつつあるため、すぐにゴールを決めたがります。それはそれで重要なことですが、白黒ではいかないことが世の中には多いものです。物事に対して白黒な答えを求めがちなのが、私です。
なんといいますか、曖昧なまま行動したくないから白黒つけてしまう。理由のない行動は意味がないとすら思う節があります。事前に計画を立てたがるタイプ。とはいえ、計画なしでも動けます。論点はそこではなく、目指すところが決まっていれば問題ないのです。
当事者意識の有無
当事者意識の有無という2つの視点で、白黒ハッキリタイプは大きく変わります。当事者意識バリバリなので、何に対しても積極的、スピードも早いです。白黒ハッキリしていれば、あとは簡単だからです。動けばいいだけだから。その上、自分にその決定があるのであれば、なおのこと動きまくればいいだけだから。
決定権がなくなると、イライラする
しかし、このようなタイプの人が決定権がなく誰かに指示を仰ぐ・従事することになると、当事者意識はとたんに薄れていくこともあります。これは私の話なんですけどね。協力という気持ちよりも、決定権のある人にお任せという意味で一気に委ねてしまうのです。「ハッキリしてください」と要求までします。こういう人、きついですよね。
決定権ある人が曖昧なままなのを見てしまうと、それはもうイライラと怒りに変わることさえあります。正解をその人に求めるというか、追求してしまいます。ここが人間関係を崩壊させる重要ポイントでもあります。生きづらいタイプなのです、白黒ハッキリさせたい人は。
世の中のほとんどは、グレー
私に気づきを与えてくれたその人いわく、「昔は私もあなたのようだった」と教えてくれました。だからこそ、白黒つけたがる気持ちはわかる、と。
「でもね、世の中のほとんどはグレーばっかりなんですよ。白黒つけられないことばかり」こう言われた時、私は衝撃を受けました。そして、一気に自分が恥ずかしくなりました。
グレーは悪いことのか?
白黒ハッキリは、わかりやすいですよね。すでに決められたレールがあるも同然で、あとはそこに向かって歩んでいけばいいだけですから。しかし、グレーはそのレールがまだありません。徐々に組み立ていってハッキリさせるまでは、どう足掻いても白黒ハッキリはせず、グレーのまま。ずっとグレーの可能性も多々あります。
白黒はラク
すでに決められたことというのは、誰かが決めたことです。それを辿るのは、正直とっても楽。責任がありそうで、実は大してない。責任なんて本当の意味では芽生えるわけがない。
このような話に対して、私は良い悪しを言いたいわけではないです。これこそ、人それぞれ。すべては本人の選択です。しかし、ここでも「わからない」と言っているうちは、自分の中で整理できていないと思います。
グレーは厳しい、けれど楽しい
私は気付かされました。グレーの時って楽しいじゃん、と。あくまで私はね。まだ決まっていない段階を自分で組み立ていくこと、またはチームとなってみんなで創り上げていうこと。クリエイティブな仕事をしているせいか、過程に面白みを感じます。もちろん、売上という着地あってこそですので、結局は白黒になるわけですが。
白黒つけるべきところ
ともかく、自分の意見こそ白黒ハッキリと持つべきです。その方がずっと生きやすくなります。「私は何に気持ちが動かされる?」と。自分の意見を知り、それを実行していくことは、わがままとは違います。時には白黒をつける必要もないと気づきます。そんな単純なものではありませんから。グレーのままでも受け入れられるでしょう。気がつけば白黒になっていたりも。
人に対して白黒求めるのは、もってのほかです。これはダメです。人は変えられないし、自分の意見の押し付けでしかありません。このハッキリさはどこで活用するかが重要です。
例えばのグレー
ちなみに、私に教えてくれたその人いわく、「これってパートナーシップでも大いに関係してくるよ」とのこと。二人の別人格の人間、しかも男と女、お互いに違っていて当然です。違うことが前提であるのに、白黒ハッキリさせようとするのは苦しいものですよね。
曖昧になっても仕方ない。もちろん、ハッキリさは安心もありますよね。難しい問題なのです。結婚は大きな学びになると思います(まだ結婚していないので、想像の範囲内ですが)。
白黒とグレー、どう折り合いをつけるか
結論、自分を内観し続けることに限ると思います。白黒の折り合い云々ではなく、自分の心に折り合いをつけるのです。少しずつ紐解いていきましょう。
「私は何で白黒ハッキリさせたいんだろう?」「なぜ曖昧が嫌なんだろう」「どこに不満をもっているんだろう」「私にできることはなんだろう」「相手はどんな気持ちで取り組んでいるのかな」など、徐々に思考を広げていくことも時に大切です。
自分に対してもっと冷静になる
こういったある種の冷静かつ俯瞰的な質問なしに、一気にカッとなって「白黒つけたい!」と言うことは不毛です。絶対に苦しい結果になります。
自分が変わればいい、というのも少し違います。変わってもいいんですよ。でもね、自分が悪いわけでは必ずしもない。もちろん相手も。このジャッジ自体が白黒です。論点はそこではなく、視点を変えるだけなのです。自分との折り合いをつけるために、角度を変えてみるというだけ。だからこそ、自分自身に問いを立ててみてください。
白黒って、実は委ねている
人に対して白黒つけたがる性格な人は、結局のところ「決めていない」から起きる事象なんだと思っています。自分の意志を持っていそうで、持っていない。だから、白黒をつけたがる。もう少し砕けていいますと、相手に決定を委ねている。
「何を目指しているんですか?」「決めてください」「言われたことをやりますから」なんて言葉が自分から出てきたら、もう終わりだなと思っています。白黒ハッキリは、自分の心の中でのみ行うものです。外に求めてはいけません。
自分の取扱説明書を極める
もっと真剣に、自分の心を感じてみることが大切です。考えたって、頭がごちゃごちゃして迷走するだけです。私は何を決めたいのか?と、自分の感覚へ注意を向けてみてください。すると、白黒思考からは抜け出せるはずです。
すると、生きづらさからはフェードアウトします。自分の感じ方(想いとも言うかもしれませんが)こそが、現実を変えていくのです。結論、白黒つけたがる人は、主観が強いだけです。もう少し視点を広げていきましょう。やればできるはずです。
この記事を書いた人
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平成5年生まれ。東京都生まれ、地方育ち。
栄養学科の大学を卒業後、事務職で転職を繰り返す。しかし、「やりたいことがない」と未来へ漠然とした不安を抱える。自分とは何者なのか、20代のほとんどを自己分析にあてる。
28歳の時に自分探しではなく、「自分の能力を発揮する!」と行動で勝ち取ることを腹に決め、好きで得意な「書くこと」へと挑戦する。
クリエイティブな仕事へと方向転換し、月刊編集部で書くことや企画に携わる。その後、フリーランスとして独立。コピーライトを得意とし、セールスライトやプロモーションをメインに活動中。文字に魅力や訴求、想いすべてを集約させることがどうしようもなく楽しいと実感中。
「人は誰もが何かしらの才能を持っています。それを仕事にしていいし、遊び心をもってもいい。行動して、何者かになっていくことがスタート」
『仕事×遊び=書くこと』というタイトルで、2024年2月よりブログ始動。
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