【愛とは】廃れることのない、本物の価値を理解する努力から

『愛』という言葉は、今やどこにでも溢れています。愛と聞けば、恋との違いを述べる人も多いです。私としては、このレベルのお話はすべて同じに聞こえます。もっと踏み込んだ、深い意味での愛を私なりに語らせてください。

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私の考える愛

愛とは

単刀直入に言わせていただくと、愛とは、今目の前の人に対してどれだけ向き合っているかという姿勢だと私は思っています。キリスト教的にいえば、アガペー(無償の愛、神の愛)。しかし、そうは言われても具体的なイメージがつかないかと思います。

無償の愛ときくと、母と子をイメージされる人もいるかもしれません。しかし、自分にとって親しい人だけに向けることが愛ではありません。本当に愛を体現出来る人は、他人に対してもこのレベルの愛を向けられる人です。

イエス様レベルの愛

愛とは 聖書

そんな人はいるのでしょうか。私が知る限り、イエス・キリスト以外に知りません。イエス様はご自身を十字架に捧げ、人間の罪を被ってくださったからです。何の対価も求めず、ただただ一方的な恵み的な愛によって。あるいみ、自己犠牲的な愛。これは究極の境地でしょう。

愛がないのに、愛を語る人が多い

愛とは

今の世の中、怪しい商売をしている人はとても多いです。その人たちは決まって同じことをいいます。愛を究極のワードとして定期的に出しています。講演などで時々見かけますね。指導的な立場で愛を薄っぺらく語っているのです。

しかし、それで目の前の人に愛が届いているでしょうか。愛という単語そのものは、人の共通認識として理解できますよね。しかし、愛とは何なのか自分の言葉で説明できるほど理解しているのでしょうか・・・。

愛のある行動とは

愛とは

まず、愛の定義を述べたいわけではありません。愛は何なのか、それを表す行動は何なのかを述べたいと思います。私の意見を改めて述べる前に、読んでいただきたい文章があります。

愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かせない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。

新約聖書|コリントの信徒への手紙一 13:4~7

私の愛する御本である、聖書から抜粋です。これを踏まえて私の言葉で述べますと、こちらから声をかけて歩み寄ること。目の前の人の話を心から聴くこと。その人のことを許し、存在そのものを尊重することです。

まるで、聖人君主。私にはできるでしょうか。一時的にできたとしても、難しいことです。そういう意味でも、すべてを体現してきたイエス様って素晴らしい方なのだと改めて思います。私もそうでありたい。これができるのが、愛の力そのものです。

私の持っている聖書とまったく同じ

愛という波動

愛とは

スピリチュアルのようなお話になりますが、私たちは波動を放っています。人間はもちろん、物だって、声や言葉だって、何もかもが波動です。行動もそうです。上記のような行動こそが、愛の波動です。

口先で愛と発しても、愛の波動が生まれるわけではありません。それはただの音ですから。行動というエネルギーを自分から出して、目の前の人と向き合うことが愛だと思うのです。

すごい人には愛がある

愛とは

そもそも、すごい人とはどんな人でしょう?私が思い浮かべるのは、どん底のときの私を見捨てずに声をかけてくれた人たち、そして両親です。この人たちの人間性というよりも、自分に向けてくれた愛、ここに感謝の思いを感じているからです。

能力があるだとか、稼いでいたり権威があるからすごい人ではありません。人それぞれなだけです。そうではなく、この人は愛をもって行動しているのかということ。ましてや、それを私に向けてくださったのなら、これ以上の喜びはありません。

だから、恋愛は難しい

愛とは

現代は、生産性を常に問われています。コスパやタイパなんて言葉も溢れているくらいですから。条件付けが強いのです。もちろん、こういったことは重要ですよね。

しかし、人間関係の中でもとりわけ濃くなるであろう恋愛でも浸透してきていることは気になりますね。だからこそ、現代の恋愛は難しくなりつつあるのでしょう。愛のレベルも、性欲基準で見る人が多かったりします。

自分の都合とは無縁

愛はこれらとは無縁の世界です。許しが含まれているのですから、自分の都合に合わせて選択していくのとは、わけが違いますね。やはり、先ほどの聖書の御言葉を何度でも読むべきな気がします。愛を体現しています。

最後にもっていけるもの

愛とは

物はいずれ廃れます。いくら高級なものであろうと、希少性が高いであろうと、物は物なのです。しかし、愛は廃れることがありません。私がたとえおばあちゃんになっても、お母さんとお父さんから注いでもらった愛は忘れることが絶対にないと確信がもてます。

私を信じて心に寄り添ってくれた人のことも、忘れるわけがありません。その人がいたから進めた道があります。今の私です。人から受けた愛は廃れません。残ります。持ち続けられます。

きっと、あの世にも持っていける、何よりも大きな価値なのだろうなと思います。それが愛なのでしょう。私もこのような愛の中で生きていきたいです。

この記事を書いた人

しげくに さき
しげくに さき
平成5年生まれ。東京都生まれ、地方育ち。

栄養学科の大学を卒業後、事務職で転職を繰り返す。しかし、「やりたいことがない」と未来へ漠然とした不安を抱える。自分とは何者なのか、20代のほとんどを自己分析にあてる。

28歳の時に自分探しではなく、「自分の能力を発揮する!」と行動で勝ち取ることを腹に決め、好きで得意な「書くこと」へと挑戦する。

クリエイティブな仕事へと方向転換し、月刊編集部で書くことや企画に携わる。その後、フリーランスとして独立。コピーライトを得意とし、セールスライトやプロモーションをメインに活動中。文字に魅力や訴求、想いすべてを集約させることがどうしようもなく楽しいと実感中。

「人は誰もが何かしらの才能を持っています。それを仕事にしていいし、遊び心をもってもいい。行動して、何者かになっていくことがスタート」

『仕事×遊び=書くこと』というタイトルで、2024年2月よりブログ始動。
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